2011年8月9日火曜日

論語とそろばん

「論語とそろばん」といえば、言わずとしれた渋沢栄一の残した名言だ。
彼は論語という人間としてのモラルとそろばんという経済観念は両立できるとといている。
事実かれは、旧第一勧銀銀行、東京海上、キリンビ-ル サッポロビ-ル 王子製紙など現在も残る有名な上場企業の設立にかかわっており、その数は500を超えるという。まさに日本資本主義の父といえるひとだ。

利己的すぎる人であったならば自分の財閥をつくったはずだ、事実この時期の事業家は、岩崎、古河、住友、大倉 安田といった人たちは巨大な財閥をつくっている。

かれは日本の資本主義を確立するために未来をやくそくされた高級官僚から事業家に転身したのだ。大きなビジョンのもとに。

経済至上主義の競争原理を追及すればそこにのこるのは、多くの敗者と勝ったけれども大切なものを失ったこれもまた敗者だけだ。

人間は快を感じる行動しかしないといわれている。人間は脳が喜ぶことをするのだ、競争により他より勝利した時 人は勝利=安心という快を感じる。しかし、負けた場合は多くの劣等感を生む。
また人は

周りの大切な人がうまくいくことも喜べる。自分の子供の幸せを願わない親はいないと信じたいし。
世の中のために自分は役立ててると実感できた時、人は快楽を感じる。

自分のためだけに人生を生きることは地獄と同義語である

つまり人は2つの相反する感情、(競争勝利=安心からくる快楽)と(人の喜ぶ姿に喜ぶ快楽)を両立してもっているのだ。だから論語とそろばんである。この相反する矛盾したこところに、人間としての本質があるのかもしれない。

「道徳なき経済は犯罪である」「経済なき道徳は寝言である」

二宮尊徳のことばだ






0 件のコメント:

コメントを投稿