人は考える葦である とは有名な言葉だ。
考えるとは過去のことや未来のことを考えることよりも今現在に100%集中することだそうだ
過去を考えすぎると、憂鬱になり、未来を考えすぎると不安になる。
自分の頭の中のノイズにおかされると今のことに集中できなくなる.
それが進むと今現在の実感が減る。
実感が減ると、一年がたつのが早く感じるようになる。
大人になるにつれて、年がたつのが早く感じるのは、現在の実感が感じられないため。
そしてそれがどんどん進むと、
自分の子供の顔をみても、頭が過去のノイズにおかされるため、認識できない。
つまり 痴呆症ということになる。
「考える」を 「感じる」 に変換させる そうすると 「勘」がよくなり、最終は 「観」 につながる。
「観」とは さけ でいう「溯上」みないなものらしい、
つまり誰に教えてもらわれなくても、うまれた川にもどり産卵して死ぬ。
そういう、自分の生きてきた意味みないたものがわかることを「観」という。
観音様とは正式名称は「観世音菩薩」という。
観とこの世を自由にいききできる。本当の自由をてにいれた人という意味だそうだ。
普段自分のことばかり考えて生きる生き方は必ず苦しくなる生き方だ。
だから意識を自分からはずして周りを感じることに移行する必要がある。
考えることから感じることそしてそれを明確な言葉で表された時。
人は幸福になれるのかもしれない。
そういえば周りを見ることを 「観察」というではないか、「観」を「察する」とは深い意味だ。
今に100%集中するとは本当に修行が必要だ。
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