第三の波の到来によって、時代は大きく変わる。それは、生活スタイル、社会構成全ての根本を揺るがすほどのインパクトがある。アルビントフ-ラ-氏が既に指摘しているように、今の時代はまさに、第三の波の勢いが益々強くなっている時代である。
第一の波とは農業革命である。太古の昔人類は、狩猟を生活の糧として、生活していた、そこには、強靱な肉体と、狩猟が上手になることが勝利の法定式であった、そこに農業革命が勃興し、人々は一カ所に集団で住み、沢山の食料を備蓄できる広大な土地を領土として納めることが、勝利の方程式に変わった。
その後第二の波として、イギリスでの産業革命が生じた。これは、オランダやポルトガルがアジアの鉱物や貴重品をヨ-ロッパの富裕層に売りさばいて隆盛を極めていた時期に、アジアの開拓におくれたイギリスがアジアからの技術や、日用生活品をヨ-ロッパに持ち込んで、技術革新のための研究を行いこれが成功したためにもたらされた革命である。これにより、株式会社、という概念が生まれ、資本家は有限のリスクで、大きな資本で産業を行う事が可能になった。その一方で資本家と労働者とが明確に区別され土地の私的所有権という時代の大きな変化のカギをにぎぎる変化と合わせ重なって、人々の生活は農業中心の世界から工業中心の世界へと大きく変わっていくのである。
その中で人々は安定した雇用を求めて、職を探し、職場と家庭が大きく分断されたのもこの時期の特徴である。株式や土地の保有が富の源泉となり、働いて労働力を提供するものと、人を働かせてその労働力を利用し、リスクをとって、利益を追求していくものとの差が明確になっていくという20世紀型工業生産の基本ができあがった。
そして現在21世紀型産業とはITの発達により金融と結びつき、より高度な金融技術がうまれた、つまり工業生産、物作り産業から、ソフトウエア、WEB、金融サ-ビスが富をうむ産業にとってかわったのである。つまり、情報革命である。その象徴として創業10年程度のグ-グルが時価総額で創業100年の日立を抜いてしまったことでもいえるであろう。
情報革命以降は、インタ-ネットによって、もはや情報は大企業や権力者のみで、独占できるものでは無くなった、一個人が、大企業相手に斬新なアイデアで挑みそして、勝つことすらも可能な時代になったのだ。その一方で、知ろうとするものと知ろうとしない者、持つ者と持たざるもの、変化を好む者と好まない者、新しいことに挑戦する者と逃げる者、リスクをとる者とリスクをとらなく安全にいきようとする者の差は格段に広がり、企業形態、家族形態、年金生活等のすべての大前提が変わる。
つまり20世紀型の社会スタイルの終焉である。例をあげるならば日本型の終身雇用と年功序列型賃金が崩壊し、また、崩壊していることに気づいていながら、明確な解決策をうつことができず(短期的に痛みをともなうため、)変革におくれた企業が、若者の未来を犠牲にして老年者達のポスト維持と、高給と年金を支えるためだけに異常に安い賃金で若者を働かせ、新卒至上主義のまま、雇用の人的ギャップを残したままつきすすみ、大量の低所得者を生み出した。
いずれは社会不安がさらに拡大していくだろう。もともと年功序列型賃金と終身雇用は企業の業績が伸びることが前提に設計されたものである。明日はきっと今日よりよくなる。GDPは必ず毎年あがる・・などという、1970年代の日本のままである。安定成長どころか業績低迷の時代に年功序列と終身雇用を守ることなど不可能である。解決策は雇用の流動化、と創業支援、インキュベ-タ-のシステム構築が必要である。
また個人的な人生設計について言えば、今までの、沢山勉強して、いい学校に入って、いい会社にはいって、定年まで勤め上げて、持ち家と退職金があれば安心な老後を過ごせるという前提は完全に崩れ去り、いい学校に入ったから、大企業に入ったからと行って、安定した、満足いく生活が必ずおくれると保証してくれる可能性は格段に低くなった。
つまり、一つの時代の勝利の方程式が終わり、学校で教えてくれる事だけでは、世の中に生きていけるわけではなくなったのである。学校の教師達が社会に出たことのない閉鎖的な教育業界しかしらないのだから、社会に役立つことを学校で教えきれないことは当然といえは当然である。
その証拠として、社会人になってから、セミナ-や学校に通い新たな知識を絶えず学び続ける社会人が増加している。
時代は動くものである、ましてや近代的な時間はゴ-ドンム-アの法則にあるように18ヶ月ごとに革新していくのであるならば、勝利の方程式も時代によってより急速に変化することは当然といえる。大幅な人口減少と急速な高齢化と少子化により、20世紀型の基本である年金や健康保険制度の崩壊は今後ますます表面化して多くの問題が生じていくであろう。
つまり、老後(人的資本を使い切り、それでも生きる必要のある状態)は、国や企業が必ず守ってくれるということではない。という、資本主義のあたりまえのことに、多くの人が気づくときがやってくる。
人的資本を使い切った老後とはP/Lでの収益からB/Sでの収益に変えて生活していくということ。つまり全員が好むと好まざるとにかかわらず投資の世界に投げ出されたということである。
そこでの知識や、パフォ-マンスこそが豊かな老後のカギをにぎる時代に突入したのだ。
次世代の勝利の方程式とは、才能と努力と稼いだお金を若いうちから積極的にインカムゲインのあるもの、(ビジネス、不動産等)に投資し、生活費がそのインカムゲインでまかなえる時点を引退可能時点として目標設定していきることも、一つの方程式になっているのではないか?
インカムゲインのある投資とは、事業、不動産、著作権、FX、出版物(自作の本等)、自分が働かなくても自分に給料や配当がでるシステムを構築したものをいうのでである。
しかし、このインカムゲインのある投資に対してレバレッジをかける、ということが日本人になじみのない実態のない事業形態なだけに、多くの、詐欺まがいの投資がまかり通るであろう。私が思う本物の投資とは、キャピタルゲインでもなく、アセットアロ-ケ-ションでもなく、分散投資でもなく、毎月不労所得で入ってくるCF(インカムゲイン)をレバレッジをあげて、最大限にする、そして、含み損をある程度までは受け入れる(そのままにする)という、不動産投資の基本的考え方こそが、次世代のソリュ-ションになりえるだろう、そして若いうちのすべての努力をどこに向けるのかこそが将来に大きく影響してくるであろう。
すでに世の中には、20代から40代までで、経済的に引退した状態にある人も出現してきたし、その一方で生活のために、65才を過ぎても働かなければ成らない人も大勢いる。
個人レベルでの財産の保全、及び投資、その最大限のソリュ-ションとしてのCFとレバレッジという二つの柱が今後重要になっていく、
つまり自動的にカネの入るシステムを持つものと持たざるものの格差が拡大し、いまだに労働の対価でしかお金を稼げていないような状態をあたりまえと思い込み、そこに住宅ロ-ンなどの、足かせを喜んでつける人たちと、いかに個人の資産運用を最大限にしていくかに重点を置いて、毎月のCFを拡大していくことにお金を使う人たちとで本当にわかれていく。
都市も人も持つ物ともたざるものの格差は拡大していく世界はフラット化などせず、人も国も都市も気づいたものと変化にきづかないものとの差は拡大するそれこそがグロ-バル化の本質であるといえる。
未だに学校教育は、工場労働者や会社員、公務員をそだてあげる為のシステムのままであるファイナンシャルリテラシ-教育をないがしろにし、社会に出たとたんに、カ-ドでの消費や、住宅ロ-ンなどの、消費をあおりまくるプロパガンダの中に放りこまれ、皆が当たり前にしているから、という理由だけで、サラリ-マン+消費という過程でしかものごとを考にくくさせれられている
そこから導き出される答えは、21世紀になっても、最終的には会社や国の保護を求めるという、旧態依然とした考えかたのままである
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